どうも!ゆうじです。
今日は全く違う角度の記事です。
退屈かもしれません。このまま閉じてもらって全然いいと思います。
続けているブログですが、こんな記事でもユーザー(読み手)が少しでも興味をもったり、役に立つものになればいいなぁと思いながらやっております。
興味あるかなぁ ないかもなぁ でもいっか、今日はこのまま。
タイトルにあるようにガストロス(この事業)が出来る頃のお話を今日は。
私、中村ゆうじと
社長、中村だいごは
約20年前に出会っております、出会っているだけで決して仲が良いわけでも、悪いわけでもなく関係が続いておりました。当時は同じ会社のグループで互いにバーテンダーとして最初出会いました。
同じ苗字ゆえに、少し不便なこともありますが、血の繋がりは全くありません。
ちなみに同い年で今年43歳、彼の白髪が増えているのは僕のせいです・・・
昔から
「最近、どお?」
1年か2年に一度連絡を取り合ったりする関係でした。
どんなタイミングだったか忘れましたが、ちょくちょく
「いつか何かしらでまた一緒に仕事できたらいいね」
と言っていたと思います。
時はずいぶんと経ち
自分の力のなさを実感しつつ
6年ほど前にも、だいごを呼び出しては色々相談に乗ってもらっていました。
その時にすでに彼は起業していたけど、まだ事業はスタートしておらず
僕も何かしら自分で始めようかと思っていたけれど、僕のビジネスプランはプランと呼べるものではなく、和紙より薄いペラペラな内容だったため、「こいつやべーな、絶対失敗するな」と彼は思ったことでしょう。
そんな惨めな姿がはっきりと浮かんだのかもしれません。
「一緒にやろう!」
と言ってくれたのです。
テレビ朝日前のスターバックスのテラス席で
その日は5月の青空が綺麗で、多分ですが5秒ほど考えたと思います。
…
「やろう!よろしく」
拾ってもらった身分なのに
えらそーに言いました・・・
いきあたりばったりな自分ですが
この日の決断ほど、自分にとってプラスになったことはないと
今でも思っております。
思い返せば、あの一言からガストロスができ
グリル東京もあるわけで。
言葉の力、それを押し出した心の大事さをひしひしと感じますね。
とはいえ
いまだに足を引っ張っております
早く恩返しをします!